【ゲイ】漁師だった父親に褌を締めてもらった少年時代の話
成熟した男の褌姿
高知県出身の大学生からの投稿。夏になると褌一枚で町を練り歩く漁師たちを見て育った投稿者。自身の父親も漁師をしていたようで、その逞しい父親の姿が、十数年後に投稿者を同性愛の道に導く・・・
私の故郷の漁村では、毎年の夏になると村の男衆が褌一枚で神社にお参りをする風習がある。
海の神様が祭られているとかで、昔は活気のある若い漁師が集まって執り行われていたらしい。
今では深刻な過疎化で若い衆といっても50歳くらいまで参加しないと人数が揃わなくなった。
父は漁業組合に勤めていることもあり、毎年褌を締めて参加している。
夏に帰省した日、実家にある奥の座敷に入ろうとすると人の気配がした。
ふすまを少し開けて中をのぞくと、全裸の父親が褌を締めている最中だった。
前のほうをもぞもぞとすると、股の間から布を通し、ねじってから尻の谷間に通していく。
蝉の鳴き声と、時たま鳴る風鈴の音の中で、じっとりと汗をかきながら日に焼けた体に白い布を巻き付けていく。
イヤらしい意味ではなく、とても官能的で綺麗だった。
なぜか、そのまま声をかけることも戸を閉めることもなく一部始終を眺めていたのだった。
今思うと、それは父という一人の男に対する憧れであり、成熟した男の魅力を知った瞬間だったのかもしれない。
高校三年生の頃に一度だけ父に褌を締めてもらったことがある。
父と息子といっても一糸まとわぬ姿で体を触られることなどないため不思議な感覚だった。
不思議と恥ずかしさはなく、褌を締めてくれる父を尊敬の眼差しで見つめていた。
「お前もすっかり大人になったな、これで出来上がりだ」と言うと私の尻を軽く叩いた。
父親が病気で亡くなったいまでも一人で褌を締めてはみるが父のようには上手くいかない。
高校を卒業すると東京の大学に進学したので、その後は一度も祭りに参加していない。
葬式の時に叔父から、いつも祭りの時に一人息子である私のこと自慢していたと聞かされた。
もう褌を締めて祭りに参加する父はいない。
18の頃のように褌を締めてくれることもないと思うと止めどなく涙があふれるのだった。
今年は祭りに参加してみようかと思っている。
その時は、父の褌を締めるつもりだ。
コメントフォーム