【ゲイ】実父に騎乗位で犯されトコロテンしちゃった話
父にハメ撮りされました
島根県在住の社会人からの投稿です。投稿者は幼い頃から父と仲が良く隠し事など一切ない間柄だったそう。性おいてもオープンな父は自慢のAVを投稿者に好きなだけ貸してくれたんだとか。ある日、父のDVDボックスからニューハーフものを見つけてしまった投稿者は・・・・・・
まさかこんな相姦ホモサイトがあるとは正直驚いた。
そして、そこで繰り広げられる告白文に大いなる興味を覚えた。
ウソかマコトか、それらは投稿した者のみぞ知る事なのだが、僕は全て真実と思いたい。
なぜなら、僕自身も同じような体験をしたからなのだから。
それは、ほんのちょっとしたきっかけからだった。
発端は、さかのぼる事25年前、僕が22の時だった。
僕の父は当時50を少し超えたぐらいだったが、その容姿を見て、正解を得た人はいなかったぐらい若々しさが溢れていた。
スタイルは筋肉質で肌艶も良く、当然だが頭髪もしっかりあったからこそ若く見えたのだが非常に活発に動く人であったのも要因の1つに数えられた。
僕はそんな父とは小さい頃から凄く仲が良くて、母よりも父と一緒にいた時間が圧倒的に長かったと記憶している。
でもここで書くのも何だが、僕ははっきりとノーマルな人間であると断言できる。
中学3年の頃から同学年の女の子と付き合い始めて以来、様々な女の子とずっと健全な(性交を含めて)付き合いを繰り返してきた。
そんな中、父とはまるで友達の様な付き合い方をしてきた。
女の子の性を入口から教えてくれたのは父だった。
大変朗らかというか、明け透けというか、何でもぶっちゃけながら話すのが父だった。
母とのその時その時の性生活を教えてくれた事も何度もあったくらい。
父の隠れた趣味にAV鑑賞と収集がある。
ボカシ作品もあったが、大半は無修正作品だった。
少女モノ、熟女モノ、中出し、アナル、複数乱交、などなど何でもござれの作品数は何百とあったと思う。
さすがに母はそんな父に呆れてたようだけど…
僕が女のアソコの姿形を知ったのは中学1年の時だった。
そんな付き合いだから父との間に隠し事は何1つ無かった。
チンポに毛が生え始めた時も、真っ先に父に見せたし、オナニーはどうしてると聞かれたら、「もうしてるよ」と僕は正直に答えたりもした。
まあ、普通の父子関係よりは近い間柄ではあったが、別段、変な関係にはならなかったし、そんな気なんて僕自身皆無だった。
なぜなら、僕は女の子に夢中なごく普通の男の子だったからだ。
異変が起きたのは、僕が大学4年の時だった。
丁度僕は就職を決めて卒業と共に横浜に行く事が決まっていた時だった。
僕はやっとこさ将来の方向性が見えて、正直安堵の気持ちで一杯だった。
もちろん浮かれてもいた。
僕は父の秘蔵のビデオを借りて観ようと思い、父の部屋に入った。
それは、父も知っている事だった(当然の事だが母も知っている)
それまで受験の間でも、一休みしようと思いたったら、直ぐに父の秘蔵ビデオを借りてオナニーをするのが日課だった。
父のコレクションボックスを開けて見ると、今までに無いジャンルのビデオが入っているのが目に入った。
それは、なんとニューハーフ物だった。
そのジャケットには、女の子と見間違うぐらいの可愛い笑顔のモデルが写っていた。
大きな胸、くびれた腰、肌ツヤから見ても、20才前後に見えた。
しかし、それ以上に目を見張ったのは、アンバランスなばかりの大きなイチモツがぶら下がっている姿だった。
見たい衝動には駆られなかったが、興味はわいた。
その日の夜、僕は父に「どうしてニューハーフ物をもっているの?」と聞いた。
父が言うには、最近母との性交が無いらしい。
できなくなったというのではなく、自身の要求を聞いてくれないのが原因だと。
その原因はと聞くと、母がアナルセックスを拒絶したのだという事だった。
何十年と同じ相手との性交ゆえに、飽きも多少あるのも仕方が無い(母自身の緩み原因の1つだろう)。
浮気は考えられず、仕方なくアナル作品を購入してきたが、それもすぐに飽きてしまい、たどり着いたのがニューハーフ作品だったと父は語ってくれた。
僕はAVマニアの父がハマる作品を観てみたくなり、父と一緒にその作品を観た。
正直、驚きと戸惑いの連続だった。
当然整形の賜物であったであろう事は、誰の目にも明らかだったが、それでも幼い表情とグラマラズな肢体とのアンバランスさに興奮し、更にそれ以上にアンバランスだったのが股間のイチモツであった。
女の子は男に背を向けながら騎乗位で男の股間を上から打ち付ける用に腰を上下に動かしていた。
それと同時に正面のカメラに向かって煎股間の長竿が左右にぶらりぶらりと揺れている様を見ている内に、僕は妙な高揚感に包まれてしまった。
父の横顔を見ると、トロンとした目に、半開きの口元、股間はぷっくら膨らんでいた。
その時、父が顔を向けてきた。
ふいに近距離で互いに見つめ合ってしまった。
父は、小さな声で「協力してくれんか」と言って来た。
僕は、「仕方ないな」と一言。
すると、父は部屋の押入れから小型のビデオカメラを出してきた。
「記念に残しておきたいから」と言うと、後は僕の抵抗もなんのその有無も言わさず一直線。
気づくと、ズボンを脱がされ、下半身だけ露出の状態で、父は寝っ転がった状態で僕の尻穴に下からズブリと差し込まれ、何と僕は目の前に映し出されたビデオと同じ格好のまま、下から突き上げられていた。
ビデオから流れてくるニューハーフの喘ぎ声に混じって、腰を打ち付け合う音がして、何が起こったのかすぐには理解できないぐらいに僕はパニックになってしまった。
だけど、少ししてから下腹からの圧迫感や擦れ合う淫音を耳で腰で感じ始めると、次第に冷静になっていくのが判った。
後ろを振り返ると父が気持ちよさげな表情で小さく喘ぎ声を出しているのが見えた。
僕がはああと声を上げると父は更に速く腰を動かしてきた。
実際はそれ程、気持ち良さも無く、ただただ圧迫感だけがお腹の中で押し込まれて来るだけしかなく、僕は付き合いで声を上げただけだった。
しばらくすると、父の腰が上下だけでなく左右にも振られてきたと思ったら、そのまま中に出してしまった。
腰を上げて尻穴から父のチンポを抜くと、急に射精感が出てきたと思ったら、半勃ち状態からカチカチに変貌した瞬間、何もしないまま白濁の放物線が目の前のテレビ画面に掛かってしまった。
その後しばらくしてから、ビデオに収録したものを観た。
正面から撮された僕の姿は哀れにも滑稽にも見えた。
シャツを胸元まで上げた状態で下を見ると、両足を広げた股間の下から父の足裏が見え、その上には大きな竿が僕の股間に突き刺さっているのが見えた。
その時初めて知ったのだが、割と冷静だったと思っていた僕の顔が、眉間に皺を寄せて苦しげな表情で喘いでいるように見えていた。
腰も自分から積極的に動かしているのがはっきりと判った。
結構、ノッていたんだと判ると、急に今までに無い恥ずかしさを覚えた。
父はこれは誰にも絶対に見せないからと何度も念を押してくれた。
父との行為は結局家を出るまでの間、3回程行った。
そしてビデオ撮影もその度に行われ、記録として残した。
就職後は結婚もあって、そのまま横浜で過ごした。
その後は父との交際は無い。
父は5年前にガンで亡くなった。
遺品整理をしていると、例の作品が机の引出しから出てきた。
それはdvdに焼き直されていた。
多分、これだけを何度も見てきたのだろう。
それまで集めていたモノはその時全て無くなっていた。
僕は久しぶりに観た。
今見ても恥ずかしくなるぐらいな痴態の数々が映し出されていた。
騎乗位で喘いでいる僕。
よつんばのまま後ろからガンガン疲れている僕。
もっと強く突いてと懇願する僕。
正面方互いに抱き合い、舌を絡ませる僕と父。
父の顔に大量のザーメンをぶっかけている僕。
そして最後に父の尻穴をめちゃくちゃに突きまくっている僕が映し出されていた。
今思うと、父は初めから僕とセックスがしたかったのだろう。
女に飽きると男に走ると先人の誰かが言ったそうだ。
おそらく父も母に女に飽きたのだろう。
だけど、他人の男は流石に怖いと考えた。
だから、僕だったのかもしれない。
実は僕も女房とは最近、無い。
そして、父が遺してくれた3枚のdvdを観ながら、幾度となくオナニーに耽っている。
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