【ゲイ】初めての射精は中学生の時、H君の手でイキました・・・・・・・・・
性処理道具のように
宮城県在住のサラリーマンさんからの投稿。小学生の頃から女性の着物に対して強い性的興奮を覚えていた投稿者。しかし当時は精通の知識もなく悶々とした日々を送っていたそう・・・・
私は、小学生の頃から女性の着物に興味がありました。
女になりたいのではなく、性欲を満たすために着物を着てみたい、というどちらかというと、フェチで性同一性障害ではありません。
で、そんな女性の着物の事を考えると股関が熱くなる感覚がよくありました。
ま、勃起なんですけどまだ精通を経験していなかったので、処理方法は分かりませんでした。
そんなこんなで中学二年になり、クラスの3分の2が精通を経験していたのですが、私自身オタクだったため、話を聞くだけでした。
そんなある日、友人の本田君の家に遊びに行ったときのことです。
彼とは音楽の趣味が同じだったため、両親共働きの一人っ子であった本田君の家には、しょっちゅう行っていたのでした。
その日も、彼の部屋で音楽雑誌を読み耽っていると、突然本田君に背後から股関を擦られました。
冗談なのか??正直、意味が不明だったのですが、何か抵抗してはいけないような、彼の真剣な気配に言葉を発することができず、されるがまま雑誌を読んでいました。
当然、敏感な年頃の私は勃起してくるので、雑誌を見ていても内容が全く頭に入ってこない感じでした。
本田君の手はジーパンのジッパーを下ろし、パンツ越しに私のペニスを扱いています。ここまできたら、本田君が冗談でやっていない事くらいは分かりました。
そしてそのまま射精させられたのですが、精通初体験の無知な私はオシッコ漏れた、と思ってしまいました。
で、パンツの中を見ると、見たことのない白い液体でグチョグチョになっています。
えっ、何?これ、としばらくパニック状態だったのですが、冷静になるとこれが、皆が言ってた精子なんだ、とすぐに気付きました。
しばらく二人共無言だったのですが、そのうち本田君が、「なんかゴメンね」と謝ってきたのですが、やっと精通した安心感があり「いいよいいよ」と応え、何となくその日は、別れました。
家に帰った頃には、パンツはバリバリになっていましたが、何よりオナニーの何たるかが分かった感動でいっぱいでした。
さらに、ここ数年意味不明だった股関のモヤモヤの解消方法が分かった瞬間でもありました。
そしてその夜、家族が寝静まったのを見計らい、私は一人居間でもう一度確認するためオナニーを始めました。
居間には母親の嫁入り箪笥があります。
私はペニスを扱きながら、和箪笥を開けました。
そして母の着物の匂いを嗅ぎながら射精しました。
その日以来、毎晩のように和箪笥に顔を突っ込んでオナニーしました。
また、3~4日に一度は、本田君の家に遊びに行って手コキしてもらっていました。
初手コキの日以来、本田君の家に行けば、必ず手コキされる、というのがお決まりになっていました。
ただ初回と違ったのは、本田君は私を手コキでイかした後、私の素股で自分が逝くのがセットになっている事でした。
本田君がゲイだったのが、ノンケだったのかは不明なままですが、今考えると私をダッチワイフのように使っていただけのノンケだったようにも思います。
彼に手コキされる時には、エロ雑誌を渡されるようになりました。
ま、エロ雑誌を見て興奮しろよ、という事だったんだと思いますが、私は私でそんな雑誌の中の着物姿の写真を探し、それを見て興奮していました。
そして、その着物を自分が着ている事を想像しました。
その状態で手コキされるのですから、本当に早漏だったと思います。
でも、女の格好をしている自分を想像しながらの手コキで、私の性癖が全て方向付けられたように思います。
さすがに本田君には、アナルやフェラはされなかったのですが、手コキを頼まれる事もあり、何度か彼のペニスを扱いてあげましたし、それに関しては嫌悪感もありませんでした。
結局、卒業と同時に本田君とは別れてしまいましたが、初射精から約1年半、着物を着た自分を想像しながら手コキされたり、手コキしてあげたり、はたまた自宅では母の着物の匂いを嗅ぎながらオナニーし続けたおかげで、高校の頃には、着物女装したい、女にされたい、と思うようになっていました。
結果的には10年後に願望が叶ってしまうのですが、その話はまたの機会に。
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