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【ゲイ】両親にセックスを見せ付けられて育った青年の末路・・・・・・・・・・・・

歪んだ親子

茨城県在住の会社員さんからの投稿。仲の良過ぎる両親の影響でゲイになったという投稿者。その両親は幼かった投稿者の前でセックスをおこなうという嗜みで性欲を満たしていた。そんな子供がノーマルに育つわけもなく・・・
ショタのアナル処女喪失
幼い頃の体験が後々の生き方に決定的な影響を与える事がある。

まあトラウマという奴ですね。

ここに投稿するぐらいですから当然ゲイ嗜好の事です。

僕の場合も他の人と同じで父親がゲイへの影響を与えてくれたのです。

ですが断っておきますが父親はノーマルです。現在もそうです(もう大層なジジイですが…)

僕の嗜好は家族の者は誰一人知りません。勿論女房もです。

ではなぜ僕だけがこうなったのかといいますと・・・

それは8歳の頃です。

当時僕達家族は父、母、僕の3人暮らしでした。

父と母は凄く仲が良く、まあ多少のケンカはしましたが概ね極々平凡な生活を送っていました。

仲が良いことを証明する上で、当時僕達家族は全員で風呂に入る習慣がありました。

父は当時30半ばを超えたばかりで母は2つばかり下で33、4ぐらいでした。

苦労して手に入れたばかりのマイホーム。

父の強い願いで風呂は全員で入れるよう大き目のサイズに造られていました。

風呂好きが講じてか、風呂は当然のように毎日入りました。

8歳といえば、性的知識など何にも知らないウブな年頃。

父と母の仲の良さがどうしてなのかなんて、まったくと言ってもいいぐらい知りませんでした。

風呂で父は母の大きなおっぱいをよく揉んでいました。

僕も同じ様に触ったり、赤ん坊のようにしゃぶりついたりして遊んでいました。

普通なら、このままおっぱい好きでそのまま思春期に突入という道があったはずでしたが、同様に湯船に浸かる父のイチモツにも目が行ってしまったのです。

それはもう見事なもので、まるでビール瓶そのものとして目に入ったものです。

そのビール瓶は、いつも静かに横たわっていて、身動き1つしませんでした。

母は父におっぱいを揉まれながらによくキスをしていました。

父は母の頬、顎へと伝わって、首筋を経て最後に唇を重ねていました。

ピチャピチャとかなり濃厚で舌を絡めているのが見えていました。

僕はそれが親愛の表現だと思っていたので、特に変な気持ちは起きませんでした。

なにせ8歳のガキですから当然の感情でしょう。

ただ、僕も見よう見まねで、母の頬や首筋にキスをしまいたが、唇も当然しましたが、ほんのチョンとくっつけた程度でした。

それが終わるとなぜか、僕だけ身体を後ろ向きにされて振り向かないようにされるのです。

今なら当然何があったのかは察せられます。

僕が後ろを向かされている最中は湯船が揺れ始めるのです。大波、小波・・・

チャプチャプという湯が弾かれる音も大きくなったり小さくなったり。

今思えば、こっぱずかしい話です。

息子である僕をダシにして、プチ露出sexをしていたのです。

おそらく刺激が欲しかったのでしょう。

週に1、2回父と母がキスをすると決まってこういう流れになっていましたので、そうなると『またか…』という気持ちでうんざりした思い出がありました。

1度振り返ろうとしたら、父のドスの利いた低い声で「向くな!」という言葉に怖くなった事がありました。

そんなこんなで何ヶ月か経って、僕は風呂場で僕に弟か妹が出来るという話を聞かされました。

まあ、あれだけ交尾したら、いつかは出来るでしょうねw

今思えば計画的に行われたのでしょう。

さてそれから月日が経つにつれ、母のおなかは大きく膨らんできました。

おっぱいも更に大きくなるにつれ、下に垂れてきて乳首の色も黒く濃くなりました。

もう3人同時に入るのが一苦労となった時になって母は入院しました。

それから暫くは父と2人だけの入浴が続くことになります。

母と入らなくなった時から、父は微妙に不機嫌になって行きました。

今となれば、それがどんな事かは推察できますが、8歳の身では判らず、ただ黙っているだけでした。

父は時々ため息をつくようになっていました。

僕はただ単に寂しいのだなと思っていました。

ですから僕は父の前でせめての慰めと母の真似を見せたりしていました。

そんな何日目かのある日、僕は湯船から立ち上がって母がよくする腰振りダンスを見せてあげました。

僕は幼いながらに父の機嫌が少しでも良くなればと思ったのです。

父はケラケラと笑っていましたが、突然立ち上がったと思うと、浴槽の淵にどかっと腰を下ろしたのです。

僕がその時驚いたのは父の態度ではなく、父の股間でした。

今まで唯の1度も動じなかったビール瓶が、その重たそうな頭を上へと持ち上げていたのです。

寂しさもあったのでしょうが、それは単に溜まっていただけ、それが僕の腰付きに反応してしまったのでしょう。

ズル剥けの亀頭がゆらゆらとこっちを見ながら揺れていました。

父は生暖かい湯気にも当てられたのでしょう。

何となく息遣いも荒く聞こえました。

「お父さん、どうしたの?」

幼い声の僕からの質問はこれだけしかありません。

父は気持ちが悪くなった。酔ってしまったと返してきました。

父は勃起したイチモツを握った状態のまま、じっとしていました。

おそらくですが、コキたくなったのでしょう。

母が相手してくれなくなった時点からオナニーもせずに我慢していたのでしょう。

それだけ父にとって母の肉体は最高だったのでしょう。

僕がボッと突っ立っていたら、父はゆっくりとですが手を上下に動かして来ました。

僕の幼い肉体に反応したのでしょうか、今となっては判りませんが…

僕が今でも覚えている父の言葉は、「吐き出さなければいけない、これ以上の我慢は身体に毒だ」です。

僕が「何を出すの?」と聞いたら、父はちょっと困った表情のまま暫く考えた風に、しかめ面のまま、「ただの白い小便だ、心配するな」と答えてくれました。

そして父は僕の目の前で、コキ始めました。

長い竿に右手が上下に素早く動くのが目に入りました。

頬を膨らませながら歯を食いしばったような表情の父に、僕は思わず手伝おうかと打診してしまいました。

父は僕の提案に手を止めました。

「ちょっとだけ頼もうか・・」

僕は両手で父のイチモツを握り締めると、ゆっくりと手を上下に動かし始めました。

僕が上下に手が動く度に、大きな玉袋が同じ様に上下に揺れていました。

僕は一生懸命に手を動かしました。

ですが、父の言う白い小便は中々出ません。

父の表情を見ましたが、目を閉じたまま、ハッハッと息を吐くだけです。

「全然出ないね」と言うと、父は右手でズル剥けた亀頭を握って「水道の蛇口を捻るように手首を動かしてみな」と返答してきました。

僕が言われた通りにすると父はウウっと唸るような声を出してきました。

「いいぞ、中々上手だな・・」

父の唸り声に僕は気を良くしたのか、ギュッギュッと捻りました。

「オウオウ・・」

父の声は甲高くなってきました。

「お前は父さんが好きか?」

父からの突然の質問に驚きつつもウンと答えました。

「じゃあスマンが、今から白い小便出すから、驚くなよ」

父はそう言うと、僕の手をイチモツから離すと、豪快な扱きを始めました。

男らしい仁王立ちのままに、父は大きな声で「ああイクイク・・・出る~」と叫ぶと、僕の胸から首に向けて射精を始めたのです。

その時を音にすればドピュウが何度も聞こえていたのでしょうか、父の大量精子が、僕の上半身全部に掛けられました。

結果、その濃くて生臭い臭いは僕のトラウマになりました。

母のおっぱいは既に頭に無く、父のデカチンが脳裏に焼きついてしまったのでした。

後で父から聞いたのですが、あの時、僕のエンピツのようなチンチンは、しっかりと上を向いていたそうです。

父との思い出は母が退院するまで何回か続きましたが、父は僕にオナニー指南のような感じで教えてくれたのでしょうけど、それは単に見せ付けられただけの所業に過ぎませんでした。

父にその気があったら、しゃぶらされ、そしてケツの穴にぶち込まれていたでしょう。

ちなみに僕の初体験は高校2年の時で相手は熟講師でした。

勿論、相手は男の人。どことなく父に風貌が似ていました。

ズボンの上からもかなり大きなのは確認済みで、僕から積極的に行きました。

父の幻影は今も抜け出せません。

女性は今でも趣味のようなものでしかありません。(でも妻子は僕なりですが愛していますよ)

 

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